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2020.06/27 更新 地域

石川県内の鍛冶屋事情

日本には、大阪府の堺市や岐阜の関市、新潟の三条市など、鍛冶や刃物で全国的に有名な地域がいくつもあります。また、鍛冶というと「刀鍛冶」や「たたら製鉄」を連想される方が多いかもしれませんが、包丁や農具・漁具、山林刃物などを手掛ける鍛冶屋は「野鍛冶(のかじ)」と呼ばれ、刀づくりや製鉄に従事する鍛冶屋とは区別されています。ふくべ鍛冶も、そんな野鍛冶のひとつです。

 石川県内における刃物の産地としては、「鶴来刃物」の名が知られています。金沢市の近郊に位置する鶴来市では、農業や林業が盛んな土地柄であったことから刃物鍛冶が栄え、農耕用の鍬(くわ)や鋤(すき)から山林用の鉈・鎌、家庭用の包丁まで幅広い製品がつくられていました。江戸時代には、加賀藩の御用鍛治を務めた刀工「一鉄」も登場するなど、鶴来は高い技術力に支えられた刃物の産地として名を馳せました。しかし明治維新後、時代が新しくなるにつれ機械化が進み、従来通りの職人による手作業では太刀打ちできなくなっていきます。需要の変化や大量生産化が進行する過程で、鍛冶屋は鉄工所へと業種転換を迫られて徐々に姿を消し、産業そのものも衰退していきました。現在では、鶴来の鍛冶屋はわずかに1軒を残すのみとなっています。

 一方能登地域に目を移してみると、能登半島の地理的な特徴でもある漁業と農業が盛んな地域では、古くから各集落に野鍛冶が点在していました。ふくべ鍛冶の創業した明治後期にもたくさんの鍛冶屋が存在し、大いに腕を振るっていたことでしょう。規模は小さいながらも地域の暮らしを支えてきた野鍛冶たちでしたが、時代の変化に伴い、鶴来と同じように減少の一途をたどります。特に、第二次世界大戦後の高度成長に伴う生活サイクルの変化や農業や林業を含む産業の機械化、大量生産の刃物の流通などは、手仕事を主としてきた野鍛冶の働き方に大きな打撃を与えました。

 今でも現役の能登の鍛冶屋は、わずかに3軒を残すのみ。その中でも、店舗を構え海の道具から山の道具まで総合的に取り扱っている鍛冶屋は、ふくべ鍛冶のみとなってしまいました。

 これまで地域の暮らしを支えてきた野鍛冶の存在が減少の一途をたどっていることは大変寂しいことですが、これまで培ってきた鍛冶の技や知恵を未来へとつなげていけるよう、これからも仕事に打ち込みたいと思います。

最後に、現在は途絶えてしまいましたが、記録の残されている能登の鍛冶屋さんの名前を記したいと思います。このように名前だけでも記録を残すことで、能登の鍛冶屋のルーツの足跡となり、さまざまな情報やつながりが増えることを期待しています。