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ふくべ鍛冶に
ついて

About us

ふくべ鍛冶の原点は、地域の営みと暮らしを支える道具をつくり、それを修理してまた使ってもらう「野鍛治」の文化にあります。限りのある資源を大切に使うべき時代。私たちはこの文化を、地域の生活に密着した行商とインターネットを活用した、グローカルな視点で継承していきたいと考えています。

野鍛治とは

暮らしの道具をつくる
「野鍛治」という仕事

赤らめた鉄を叩き、さまざまな道具を作り上げる鍛冶屋。あらゆる工業の原点でもあるこの生業は、今の時代も私たちの暮らしに息づいています。

鍛冶屋と一口に言っても、日本刀を作る刀鍛冶から包丁鍛冶、鋏鍛冶、鍬鍛冶まで、製造する道具によっていくつもの種類に分けられます。そんな中で「ふくべ鍛冶」が生業とするのは、包丁や農具、漁具、山林刃物といった暮らしの道具を幅広く手がける「野鍛治」。これまで100年以上にわたり、能登の農と漁、人々の生活を支えるため、使う人に合わせた道具をひとつずつ造り、修理をしてきました。

修理のこと

地域の「困った」を
「良かった」に変える

新しい道具を作るだけでなく、使い込んですり減った鍬(くわ)の刃を再生するなど、金物の修理を幅広く引き受けるのも野鍛冶の仕事。しっかりとメンテナンスを施しながらひとつの道具を使い続ける「修理」の文化は、限りある資源を有効活用するための方法として再評価されています。

年間数千件以上の修理を手がける「ふくべ鍛冶」では、過疎化が進む奥能登の集落をワゴンカーで周りながら、刃物や金物を修理する移動鍛冶も行っています。年配者ひとりで刃物を抱えて山を降りるのは想像以上に過酷なこと。地域の人々の「困った」を「良かった」に変える。道具の修理は「ふくべ鍛冶」の原点でもあります。

歴史のこと

初代から受け継がれた
行商への取り組み

ふくべ鍛冶の創業は明治41年。輪島市で修行を積んだ初代・干場勇作が、能登町の藤波地区に開業しました。大正2年には現在の移動販売のルーツにもなっている行商を開始。奥能登の各集落へと馬車を曳いて出向いては、持ち込まれた刃物や農具、漁具などの修理や製造に励んでいました。

トレードマークのひょうたんは、酒豪でいつも酒入りのひょうたんを腰にぶら下げていた初代のあだ名「ひょうたん鍛冶」にちなんだもの。後年にはひょうたんの別名である「ふくべ」を屋号とし、2代目の政治、3代目の勝治、そして4代目の健太朗へと、野鍛治の技が受け継がれています。

かつては日本各地に数多く存在した野鍛治も、農業の機械化や大量生産された格安刃物の流通によって次々と廃業に追い込まれています。それでも能登の漁と農に支えられてきた私たちにはこの地域の生業を守り、野鍛治の文化を伝えていく義務があります。

昔ながらの本鍛造による質実剛健な仕上がりと、手造りならではの使いやすさ。この伝統的な野鍛治の流儀を守り伝えることが、これからの「ふくべ鍛冶」に与えられた使命。そんなことを考えながら、能登の風土に育まれた、長く使える道具づくりを目指しています。

SDGs