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2021.04/24 更新 メディア

狩猟生活2021VOL.8に掲載

時代が移り変わり、車社会へと変貌を遂げた現在の日本。そんな日本では、この能登半島は不便な土地である。しかし昔は交通の要所であり栄えていた。そんな地・能登半島の能登町には今も珍しい鍛冶屋があります。

能登という地は、海・田畑・山が揃っており一次産業のほぼ全てを行えるという土地です。各方面への需要が多くあったため明治41年から現在まで続いてきたと言います。地域の一次産業を支えてきたとも言えるでしょう。そんなふくべ鍛治は全国でもあまり見ない特色があります。

その特色が、「行商」です。初代の勇作氏が馬車に道具一式を積んで、半島を回り鍛冶屋のいない集落に向けて商売をしていたそうです。ウマがたくさんの道具や包丁を乗せた馬車を引いている姿を一目見てみたかったですね。このころの馬は今より遥かに小さかったと言いますし、木曽馬ぐらいの大きさでしょうか。余談はさておき、この「行商」というスタイルは、現在の4代目・健太朗氏の代でも形は違うが行われています。現在のスタイルは小型のトラックで月に一回奥能登地方の協力店を周り、そこに集まった刃物類を回収し、また1ヶ月後に修理したものを持っていくというスタイルです。流石に現代ではウマは出てきませんが、現代に沿ったやり方で続いていくのはいいですね。

また、最近ではネットの海への「行商」も行われています。インターネットを通じて奥能登だけではなく、全国への「行商」も可能となりました。丹精こめて造った刃物類を売るだけではなく、修理の依頼も受け付けていると言います。このサービスは「ポチスパ」と言い、健太朗氏が考案したそうです。名前の通り、ネットでポチると刃物がスパスパに切れるようになるという語呂合わせです。依頼も簡単でインターネット上ポチるだけって送られてきた専用の箱に包丁を詰め、送り返すだけといったもので、とても簡単です。このサービスはとてもヒットし、現在全国からの注文が後を絶たない。時代に合わせて行商の形も変化していくものなのですね。

「行商」の形、鍛冶屋の形は変わってもそこに根付く魂は変わらないのでしょう。「鍛冶屋は会話する。仕事場では火と鉄がその相手。商品が出来れば今度は客と会話する。それが技術の向上につながる。」「鍛冶屋の技術習得の第一歩は修理に始まり修理に終わる」。