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2020.10/22 更新 メディア

20201011_切れ味復活 生活豊かに

干場健太朗は能登町で創業112年を迎えた鍛冶屋「ふくべ鍛冶」の四代目です。ふくべ鍛冶では漁師のナタ、クワなどの道具の製造販売、修理を担う全国でも希少な野鍛冶です。現在は年間約3000本の製造と約1万点の修理を担っている。

健太朗は6年前から鍛冶職人の道を歩み始めました。大学卒業後の12年間は能登町役場に勤め、町内の中小企業の支援や伝統文化の継承・保存などに取り組んでいました。

転身のきっかけは母、絹子の他界でした。気を落とした3代目の父、勝治から店を閉めるつもりだと告げられました。しかし健太朗さんは12年間の役場での仕事を通して地域の企業や伝統を守る大切さを心得ていたので、ならば自分が継ぐしかないと決心しました。

家業を継ぐことを決めた健太郎さんは近所や役場の同僚から包丁を預かり、寝る間も惜しんで包丁をひたすらに研ぎ続けた結果、研ぎの技術を身につけました。しかしながら鍛冶屋というものは研ぎの技術一本で務まるものではなく、鍛造や溶接など途方もないほどに様々な技術が必要となります。先代の父、勝治さんはこう言います、「鍛冶屋に必要な技術全てを習得し一人前となるにはかかる少なく見積もって15年はかかる」と。

そこで健太朗はこう考えました、「一人で一人前になる必要はないのではないか」と。指標が定まった建太朗さんは、各作業の専門家となってもらうべく戦友を集い、各々が各々の道を極めました。これまで一子相伝の技術であったものを複数人で分担して習得することで、次の世代につながる人材が一段と増えました。

その後、建太朗は役場で培った人脈やノウハウを活かし、多種多様なアプローチでふくべ鍛冶の知名度を向上させていきました。

能登地域は輪島塗で代表されるように、修繕の文化が今もなお根付いています。「野鍛冶は衰退傾向にあるが、可能性は大いにある。能登を道具メンテナンスのメッカにしたい」と健太朗は意気込み、それを実現するべく今日も精進しています。