columun

2020.12/26 更新 メディア

2020.12.1_経済産業省_鍛冶の技を生かし、時代に合わせたサービスを

代替わりと聞いて皆さんはどのようなイメージを持つでしょうか。日本で古来から存在する陶芸家、和菓子屋、鍛冶屋、といったいわゆる『職人』が先代から技術を継承し、未来永劫その『技』を残していく、というイメージを持たれる方も多いのでは無いでしょうか。

ふくべ鍛冶。ひょうたんの暖簾が特徴的です

石川県鳳珠郡能登町。富山湾に面した海岸線から少し離れたところ、能登町という街でもっとも賑わっている商店街に、「ふくべ鍛治」はあります。ここでは、2020年1月に「代替わり」が行われ、3代目の干場勝治さんから4代目の干場健太朗さんへと引き継がれました。112年間、4代にわたって引き継がれ続けたふくべ鍛治。ここには、どのような歴史が存在するのでしょうか。

海と山が共存する能登町では、漁業や農業つまり第一次産業が発展してきました。現在では、名物は農産品としてブルーベリーや能登牛、海産品としてイカや能登寒ブリがあります。そんな漁業や農業従事者の必需品として利用されてきたのが、万能包丁『マキリ』をはじめとする魚捌き包丁、鍬や鎌などの農機具です。

江戸末期の幕末期の動乱を経て、慶応三年(1867年)江戸時代最後の将軍:徳川慶喜が大政奉還を行い、1869年には「江戸」から「明治」へと改元され、西洋風の物事が取り入れられるようになる文明開花の時代へと突入しました。とはいうものの、西洋風を取り入れることができたのは、旧士族などの上流階級の人たちだけでした。一般市民は、主に自給自足の生活をしていました。そんな時代にあっていたのが、能登のマキリや農機具を鍛接することだったのです。

初代から、2代目へと引き継がれたのは、昭和に入ってからのことでした。昭和といえば、大きいイベントは戦争です。戦後の動乱の後、日本国憲法が作られ、現代の日本の原型が作られた時代です。この時代もまた、”野鍛治”がこの時代にあっていました。

 3代目へと引き継がれたのは、平成に入ってのことです。時代の変遷とともに、全国各地の鍛冶屋が店を畳んでしまう中、「ふくべ鍛治」は能登の人たちに支えられ、令和の世まで引き継がれ、続いてきました。野鍛治として続いてきたふくべ鍛治ですが、令和の時代となり、時代にあった新たなサービスを始めました。

それが、『ポチスパ』というサービスです。令和の時代となり、たくさんの鍛冶屋が店を畳んでしまった現状、包丁や農機具のメンテナンスや修理が身近にできなくなってしまった人が多いと、自分でできない場合持て余してしまう、そういう人たちのためのサービスです。インターネット上でポチッと依頼すると、専用の箱が自宅に届き、切れ味の悪くなった包丁を入れて返送すると、スパスパ切れる切れ味の蘇った包丁になって戻ってくる、というサービスです。

ふくべ鍛治では、時代にあったサービスを展開してきている。今後、時代が移り変わっていくが、それに合わせてどのようなサービスを行なっていくのかたのしみです。